自分は、カラオケに滅多に行くことはありません。しかし、先日の夜に行われた食事会の後、食事会で行ったお店から一番近い駅の次の日の始発を待つ人数名と自分でカラオケに行きました。自分がカラオケに行かないのは、人前で歌うなんて緊張するからです。しかし、カラオケに行ったんだからと一緒に行った人たちに混ざって、頑張って歌いました。
人前で歌を歌うことなんて滅多にないし、緊張するからうまく歌えません。しかし、自分がよく聴いていた、今でも聴いている歌手の曲なら歌えると思い、宇多田ヒカルさんの曲を歌いました。そしたら、一緒に行った方にとても驚かれました。宇多田ヒカルさんの曲を歌うことを。宇多田ヒカルさんの曲を歌うことは難しいそうです。そこで、宇多田ヒカルさんの曲を歌うことは難しことを初めて知りました。確かに、そうですね。「Automatic」は、リズムに合わせて歌うのが難しいテンポの曲でした、自分がちゃんと知っている歌手の方というと、アンジェラ・アキさんか宇多田ヒカルさんしかいないので、下手なりにちゃんと歌えるのが、このお二人の曲ぐらいなんです。自分が知っているお二人以外の歌手の曲は(ものすごく申し訳ないのですが)、中途半端にしか知りません。サビしか知らないとか、1番しか聴いたことないとかがほとんどです。お二人の曲以外だと歌うのを途中でやめてしまいたくなるほどに歌えません。
宇多田ヒカルさんのことを初めて知ったのは、シングルCDの「Firsr Love」の発売時期です。当時のシングルCDは、8cmCDと12cmCDの両方が発売されていた時期です。自分は、8cmCDを購入していた最後あたりの世代で、中学生の時が宇多田ヒカルさんの曲が流行った1回目の時です。その時代は外出時に音楽を聴くとなると、ポータブルCDプレーヤーやポータブルMDプレーヤーで聴く時代でもあり、自分も親に頼んでポータブルMDプレーヤーを買ってもらい、宇多田ヒカルさんの曲を四六時中聴いていました。
先日のカラオケで宇多田ヒカルさんの曲を歌った時にあることに気が付きました。それは、歌詞の中にある1人称なら声に出す(歌える)ことができることです。普段の自分は、「私」「僕」「俺」「あたし」などの一人称が言えません。唯一言える一人称が「自分」だけなので、自分のことを一人称で言う時は、「自分」と言っています。それで、なぜ曲の歌詞の一人称なら言えるのか、考えてみました。その中で、曲の歌詞の一人称は誰の一人称であるかということを疑問に思いました。曲の歌詞から想像することができる登場人物の一人称なのではないかという答えにたどり着きました。自分からしたら、架空の人物や作詞した方が歌詞に登場させた人物の一人称です。完全に他人の一人称です。他人の一人称であるから、自分は一人称を言うことができることが分かりました。
他人の一人称は、自分の一人称ではないです。当たり前のことです。そのことを意識したら、その後に歌う曲の中に一人称が出てきても「どうしよう」と不安にならなくなりました。「他人の一人称を声に出す」と意識することだけで、こんなにも歌を歌う時の不安がなくなるとは、思ってもいなかったです。緊張するからカラオケに行かないのではなく、一人称を言わないといけい状況になることを無意識に避けていたのかもしれません。もう一人称を怖がることはないと思うので、カラオケに行く回数が増えそうです。
歌詞の一人称のこととは違いますが、カラオケで宇多田ヒカルさんの曲を何曲も歌ったら、一度全て手放した宇多田ヒカルさんの音楽CDとDVDをまた欲しくなり、この連載の記事を書く前に中古と新品合わせて約1万円ほど宇多田ヒカルさんの音楽CDを購入(大人買い)してしまいました。
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