連載|第40回『映画「万引き家族」は、自分の親を親である前に大事な人であると教えてくれた』

  この連載では、ジェンダーとかセクシュアリティのことについて筆者が感じていることを書いている。今回は、ジェンダーとセクシュアリティのことではないが、連載として書きたいと思った。このブログの連載にたどり着いてくださった方の中に読んでくださる方がいたら、ありがたい。

 筆者は、映画を見ることはあまりないのだが、好きな映画監督の映画が公開され、その時期に映画館に行けるのであれば、観に行く監督が2人いる。今回、その2人のうちの1人の監督の映画を観た。観た映画は、是枝裕和監督の「万引き家族」。ネタバレになることも書いてしまうので、これから「万引き家族」を観るという方は、ネタバレになることをご理解の上、読んでほしい。

 万引き家族の始まりのストーリーは、こんな感じ。治と信代、信代の妹の亜紀、治と信代の息子の祥太、母の初枝で暮らしている家に、治と祥太が女の子を連れてくる。この家族は、初枝の年金をあてにして暮らしている家族で、治と信代は働いているが、生活費の足りない分は、万引きでなんとかしていた。その女の子の名前は、ゆり。ゆりの体には傷がいくつもあった。ゆりにコロッケを食べさせて、治と信代がゆりをゆりが住んでいる団地に返しに行くと、ゆりの両親の喧嘩する声が聞こえてきた。それで、ゆりを団地に返すことをやめ、治と信代たちが住んでいる家に連れて帰ることにする。そこから5人での生活が始まる。

 映画の後半で、祥太の万引きが店の店員に見つかり、祥太は店員に追いかけられることになる。祥太は、逃げている途中で怪我をする。そのことがきっかけで、この家族のことが警察に知られて、この家族が隠していることがいろいろとばれる。治と信代は祥太の本当の親でなく、信代が松戸のパチンコ屋で祥太に出会って連れてきたのだった。つまり、赤の他人だった。それ以外にもいろいろと分かってくるのだが、ネタバレになることが多くなるので、これぐらいにしておく。

 治と信代と祥太の関係性が分かるシーンになるまで治と信代は、祥太の本当の両親だと思った。しかし、治と信代は、祥太の本当の両親ではなかった。そのことが分かるシーンになるで、3人は親子だと思っていたので、親と子であることにおいて何が重要なのかを考えさせられた。子供からしたら一緒に暮らしてくれる人が親なのか、それとも血が繋がった大人が親なのか。

 治と祥太だけのシーンがいくつかあるのだが、その中で、2人が追いかけっこをしたり、雪だるまを作るシーンがある。この2つのシーンを観た時、子供の時の自分と親のことを思い出した。自分は、親と追いかけっこしたり、雪だるまを作ったりすることができる距離感で接することはなかった。親との思い出はあるが、治と祥太には確実にあった距離感は、自分と親にはなかった。自分にはもうその距離感を手に入れることができないから、とても羨ましかった。そんなことを思ったら、泣けた。

 是枝裕和監督の映画は、家族をテーマにすることが多い。そのため、いろんな家族の形を映像にする。今回の「万引き家族」は、他人同士で1つの家に住み、家族として暮らす話。そんな物語の中に、羨ましいとすら感じる関係性ができあがった様が映画の中にあったと思う。治が祥太に「お父さんでなくて、おじさんに戻る」と言った次の日の2人の別れのシーンで、バスに乗った祥太を追いかけて治が走るシーンがあるのだが、そこでは2人の中に家族であるという前に一緒に暮らした大事な人だということが感じられた。この「大事な人」ということを自分が子供の時に親に対して感じることができたなら良かった。大人になってからでも親を「大事な人」と感じられるようにしたらいいのかもしれないが、大人になって感じるよりも子供の時に感じることの方が大事だと思う。子供の時に親を「大事な人」と感じられた方が親がいることのありがたさが子供ながらに分かる気がする。

映画「万引き家族」WEBサイト
http://gaga.ne.jp/manbiki-kazoku/

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