シスジェンダーヘテロセクシュアルの人がセクシュアルマイノリティの人に「アライです」という必要があるのか疑問に感じた。

先週、セクシュアルマイノリティのことを理解し、セクシュアルマイノリティの活動に参加することで協力・支援するシスジェンダーヘテロセクシュアルの人をことを指す「アライ」という言葉を聞いたら、セクシュアルマイノリティの人がいる場でシスジェンダーヘテロセクシュアルの人のことを「アライ」と言う必要があるのか疑問に感じた。

疑問に感じたのは、シスジェンダーヘテロセクシュアルの人が自己紹介で「アライです」と言ったことを自分が勝手に「自分は、シスジェンダーヘテロセクシュアルでセクシュアルマイノリティではありません。だから、セクシュアルマイノリティ当事者だと思わないでください」と変換してしまっていることに気が付いたから。

シスジェンダーヘテロセクシュアルであれば、セクシュアルマイノリティの活動に参加しなくてもいい。セクシュアルマイノリティの活動に参加することでシスジェンダーヘテロセクシュアルの人が得られることはあまりないから。しかし、セクシュアルマイノリティの活動に参加してくれているのであるからありがたいことである。

しかし、「アライ」と言うことで「当事者」と「非当事者」とういうはっきりとした境界線ができてしまう。

そうなると、「アライ」と言った人にが「協力・支援している」というより「協力・支援してあげている」と上から目線で接しられている感じがしてしまう。「アライ」と言った人は上から目線で接しているわけではないのに。

どうしたら「アライ」と言葉に対しての負の感情を無くすことができるのか。

それは、シスジェンダーヘテロセクシュアルの人に対して思っている「マジョリティのくせに」という感情を無くすしかないと思う。

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