連載|第08回「筆者のセクシュアリティを分解してみた vol.06」

第08回の連載では、2011年の23歳の筆者のセクシュアリティについてお話します。
2011年頃の23歳の筆者は、自分のセクシュアリティを自己紹介で「無性別」と言い始め、ゲイの人の中にいることをやめる。
2011年の春頃の筆者はまだ当時の自分のことを言い表すことができるセクシュアリティ用語といったらMtXぐらいしか知りませんでした。だから、自分のことを言い表すことができるセクシュアリティ用語を探していました。そんな時にセクシュアルマイノリティに当てはまるセクシュアリティに関する活動で知り合った方に自分のことを話しました。そしたら、その方に「トランスジェンダーフェミニズム」という書籍のことを教えていただきました。
数日後、「トランスジェンダーフェミニズム」をインターネット通販で購入し、読みました。この書籍には男と女では説明がつかない性自認の筆者の幼少の頃のことや体験談がが書かれていて、「自分にも分かる」と共感できることがいくつもありました。
「トランスジェンダーフェミニズム」を読んでから、自分のセクシュアリティについて話せるようになりました。それで、自分のセクシュアリティについて話ができる人に「自分と同じような人(自分のことを男とも女とも思っていない人)と会ったことがない」とないと話したりするようになりました。
自分のセクシュアリティについて話せるようになった頃はゲイではないのにゲイの人の中にいました。その頃は自分の性的指向について考えることもなかったです。だから、自分は女の人もゲイの人も好きになるからゲイではないけどゲイの人の中にいるということを自覚していませんでした。
2011年の夏に新宿2丁目のクラブのイベントに行きました。クラブのイベントに参加するためには受付で身分証明書の提示が必要でした。自分は、自動車運転免許を出しました。クラブに慣れていなかったこともありどう楽しんでいいのか分からなかったですが、クラブを楽しみました。
クラブのイベントを最後に新宿2丁目に行くことをやめました。どうしてやめてしまったのかふと考えることがありました。クラブのイベントに行った際に「自分は男でないのに身分証明書の提示だったり、見た目だったりで男だと判断されたからクラブに入ることができたのではないのか」と思いました。身分証明書を提示しなければならなかった本当の理由は違うと思いますが、男だと判断されることは当時はもの凄く嫌だったので新宿2丁目に行ったら男だと判断されることに繋がるのでやめたのだと思います。
これ以降も新宿2丁目にたまに行くことがありますが、2011年の夏以降から2014年の今現在まで3回しか行っていません。3回のうち、2回は知り合いの人も行くから自分も行くと感じで新宿2丁目に行きました。

自分のセクシュアリティを「無性別」というようになったのは、自分が思いついて作った言葉だからなのか、何かで見て、自分のセクシュアリティを説明する言葉にいいと思って使うようになったからなのかどちらなのか思い出せません。しかし、自分のセクシュアリティを説明する言葉として「無性別」は合っていると思います。だから、今でも自分のセクシュアリティを説明する言葉として使っています。 

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