連載|第17回「人のセクシュアリティは“こうである、こうあるべきである”と決 まっているの?」

 セクシュアリティには「こうである、こうあるべきである」ということはあるんですかね。筆者は、あるという人もいれば、ないという人もいると思います。「こうである、こうあるべきである」という考えを持っている人が、「そんなものない」とか「なくてもいい」という考えを持っている人に「こうあるべき」ということを押し付けたり、「ないのはおかしい」と言ったら、その人を否定することになると思います。セクシュアリティは、個人的な考えをや経験が物凄く影響します。だから、多くの人と違うセクシュアリティだという人もいるはずです。
 セクシュアリティにこうであるというものがあったら、その「こうである」というセクシュアリティになろとする人が出てきます。その「こうである」というセクシュアリティになれなかった人は、自分で自分を否定することになります。
 多くの人と違うセクシュアリティだからということで悩む人や困る人がいます。だからこそ、筆者は、人と違うセクシュアリティでもいいと認め、人と違うセクシュアリティでもいいと言い続ける必要があると思います。

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